「花束みたいな恋をした」と「スカイ・クロラ」

何かの拍子、というか体調不良の余波のずる休みで、「花束みたいな恋をした」を公開初日にみてしまい、その余韻が変に続くのでメモ。

 

生きること=消費すること、だとしたら、そこには成長などあるはずもなく。というのが、スカイクロラのテーマだ、とどこかで聞いた。最初見たときは何じゃこの映画意味わからん、と思ったけど、頭から追い払えないスカイクロラ

ループする世界はずっと押井守のモチーフで、その押井守本人を神認定してる2人の恋物語

花束みたいな恋をした、を見た後の方が、スカイクロラを理解できる気がしてきた。

 

文化なるものを消費すればするほど。本を読めば読むほど、映画を見れば見るほど、音楽を聴けば聴くほど、成長が止まった世界をぐるぐる回って疲弊するだけだ、という諦念とともに、老いていくことへの罪悪感。ここ10年くらい重く腹の底にあるもの。特に、子供を産まないことが決まりつつある年齢の私にとって、その重さはもう抜けないものなのかもな、と思う。

 

こんな底意地の悪いものを、人気俳優の甘酸っぱい恋愛映画、って体でシュガーコーティングして皆んなにみせようという業。どうしても、表現して伝えてやりたいという、切実な仕事。

出口があると信じる心は、そういう形で表れるものなのか。